【2017年12月の釜山③】海雲台ビーチから冬柏公園を散策(後編)
【2017年12月の釜山②】海雲台ビーチから冬柏公園を散策(前編)からの続きです。
人魚像を見てからしばらく歩くと吊り橋がありました。

真ん中がシースルーになっていて、高所恐怖症のワタクシは下を見ないようにそろそろと・・・。
しかも吊り橋なので人の往来が多いと結構揺れるんですよ^^;

海岸の岩に何か文字が刻まれていますね。

「海雲臺」と刻まれています。
近くにある看板の説明文によれば
「9世紀の新羅末期、大学者の孤雲(コウン)、崔致遠(チェ・チウォン)がここの自然に魅了され、自分の雅号に因んで『海雲臺(ヘウンデ)』という言葉を岩に刻んだのが「海雲台」の始まりとされています。」との事。

実際に崔致遠が岩に文字を刻んだかどうかは確証はないらしいのですが、「東菜府邑誌古蹟条」に収録された高麗末期の文豪、鄭誧(チョン・ポ)の詩に『海雲台の「臺」の字は荒廃して痕跡もなくなり、「海雲」という名ばかり残っている』と記されていることから、高麗末期以前からこの名で呼ばれていたと推測されるそうです。
さらに登っていくと展望台が見えてきました。

間もなく日も落ちようとしています。
素晴らしい光景ですね!

(つづく)
ブログランキングに参加しています。
励みになりますのでバナーのクリックをお願いします!




にほんブログ村

韓国旅行 ブログランキングへ
インスタグラムやってます ⇒
ツイッターもやってます ⇒
人魚像を見てからしばらく歩くと吊り橋がありました。

真ん中がシースルーになっていて、高所恐怖症のワタクシは下を見ないようにそろそろと・・・。
しかも吊り橋なので人の往来が多いと結構揺れるんですよ^^;

海岸の岩に何か文字が刻まれていますね。

「海雲臺」と刻まれています。
近くにある看板の説明文によれば
「9世紀の新羅末期、大学者の孤雲(コウン)、崔致遠(チェ・チウォン)がここの自然に魅了され、自分の雅号に因んで『海雲臺(ヘウンデ)』という言葉を岩に刻んだのが「海雲台」の始まりとされています。」との事。

実際に崔致遠が岩に文字を刻んだかどうかは確証はないらしいのですが、「東菜府邑誌古蹟条」に収録された高麗末期の文豪、鄭誧(チョン・ポ)の詩に『海雲台の「臺」の字は荒廃して痕跡もなくなり、「海雲」という名ばかり残っている』と記されていることから、高麗末期以前からこの名で呼ばれていたと推測されるそうです。
さらに登っていくと展望台が見えてきました。

間もなく日も落ちようとしています。
素晴らしい光景ですね!


(つづく)
ブログランキングに参加しています。
励みになりますのでバナーのクリックをお願いします!




にほんブログ村

韓国旅行 ブログランキングへ
インスタグラムやってます ⇒

ツイッターもやってます ⇒

- 関連記事
スポンサーサイト
【2017年12月の釜山④】2005APEC首脳会議が開催された「ヌリマルAPECハウス」 « ホーム
» 100種類以上の品揃え!「サンドイッチハウス メルヘン エキュート東京店」のハムポテトサンド
トラックバックURL
コメントの投稿